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できればやり直したい焼豚のはなし

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 ラーメンは好きだが焼豚は苦手だ。注文のときに焼豚要らないです、と一声かければ焼豚を抜いてくれ、少し間抜けになる表面を覆う為にゆで卵を半切れ入れてくれる場合もある。ただその一声を忘れてしまうことが多い。その場合は勢いでなんとか食べるか残してしまうか。まあたいした問題ではない。

 が、それが故に足が遠のいたラーメン屋がある。家のすぐ近くのラーメン屋。比較的あっさりした豚骨スープと麺のコシがちょうどよい。ビールケースをひっくり返してそのまま椅子としているシャビーな作りだが、若者が言葉少なくきびきび働いている。食券制で店員と言葉をかわさなくて済むのも良い。

 1人のれんをくぐりビールケースに腰掛けると、湯切りをしている店員と目があった。「お、久しぶり」目がそう言っている。軽く会釈で答える。コミュ障の私もそれくらいはセーフ。しかし出て来たラーメンを見て仰天した。焼豚が2枚入っているのだ。咄嗟に左右の客の焼豚枚数を確認しさっきの店員を見ると、こちらを見て小さく頷いた。無言のメッセージは間違いなく「お客さん、サービスしとくよ!」と伝えている。そして小市民の私は自分にとって最悪の、のちのち禍根を残す行為をしてしまう。小さな感動の笑みを返してしまったのだ。

 

 その日私は焼豚を2枚食べた。

 

 私は普段会社の経営とかをしていて忙しい上に記憶力が悪いので、その日の出来事はわりとすぐに忘れてしまい、数週間後にまたそのラーメン屋に行った。入った瞬間同じ店員と目が合い、全てを思い出すと同時にちょっと嫌な予感がした。現実は予感を更に上回る展開で、今度はものすごい厚切りの焼豚が2枚入っていた。「今日もサービスしとくよ!」という無言のメッセージがアイコンタクトと共に送られて来た。

 薄切りはなんとかなる。でも厚切りはキツい。歯を食いしばって私は厚切りの焼豚を2枚食べた。ぎこちない感動の微笑み返しも忘れなかった。

 この展開が何回か繰り返された。その兄ちゃんはまさかの正社員なんだろうか。ものすごい出現率で私にサービスをしてくれた。厚切りはどんどん分厚くなり、最初のものすごい厚切りは実は普通の厚切りだったことも判明する。3枚目が乗ることもあった。もう、相手から見たら、「例の少しシャイで焼豚好きのおばさん」である。

 家の近くで唯一気に入っているラーメン屋だ。このままではまずい。今日こそは言おう、そう思って入っても、あの秘め事チックなアイコンタクトにやられてしまう。それに今更…。いったい今まで何だったんだと言われてしまう。ものすごくがっかりさせてしまう。特別に目をかけてくれていたのに。やっぱり人は期待に応えたいし、私のような傍若無人な人間も人を喜ばせたいという気持ちが強いのである。

 結局足が遠のいてしまった。ウォーキングでもなるべく店の前を通らないルートをとるようにしている。やむを得なく店の前を歩くときは思い切り下を向いて足速に通り過ぎる。

 

 誰かの期待に沿うように頑張っているとこのような顛末になることがある。ちょっとしたサービス精神から始まった小さな演技でだんだん身動きできなくなり、イップスになり、生産性が落ちる上に自分の好きなものを手放さなければならなくなる。一人として悪意ある人はいないのに、誰も幸せにならない。

 焼豚は嫌いだが大事なことを教えてくれた。なるべく嫌なことは嫌だとあらかじめ言って、これからはできるだけ正直に生きようと思う。

 

 


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